2014/07/20

イデオロギーの話をする

私は、共産趣味者を常々自称してきたが、私のイデオロギーがどうかということについては、これまであまり突き詰めてこなかった。しかし振り返ると、大枠は社会主義、個々人は資本主義、私自身は割と、そういう傾向があるように思う。

傾向があるというか、何となく生きていたら、今のところそういうカンジになったと思う。
私の資本は、突き詰めると自分の肉体しかない。この肉体を築きあげている過去が、私という資本の出所なわけで。

そして、社会主義も共産主義も、単なる幻想でしかないというのもわかるが、所詮、下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなりというのも、まったくそのとおりなわけで、現状の「大枠の」資本主義自体も、幻想によって突き動かされているじゃないかと、思わんでない。ユートピアは、所詮ユートピアだ。

が、それが幻想だから生きる価値がないのではなく、幻想を生きるのも、人の宿命かもしれん。

そして、自立した個人が、いかに洗練されるかで、共有される幻想の質も変わるだろう。そもそも、この幻想が、どこまで他人と共有可能なのか、…考えれば考えるほど、図り知れない。じゃあ、この幻想の中に、はたして現実はあるのか、と。

私の現実は、肉体の感覚を通じて、揺れ動く心が、魂に働きかけるのを、ただ感じとれるところにしか無いだろうと思う。だから、魂に何も響いてこない現実の状況は、虚無的で、これでいいのかと、疑心暗鬼に陥りそうになる。

しかしこのテの話は雲をつかむようで、次第にかたちを変えていく。たまたま言葉になったのは、今日はそんな話を人とする機会があったからだ。イデオロギーは終焉しとるんやろ、で煙に巻いてうやむやにしておいたが、言った瞬間は「私、なかなかエエこと言うなぁ」と思ったので、記録しておく。

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