2014/02/06

”精神病は時代思想の屈折した投影”



私は「キチガイ」と言われても傷つかないキチガイである。(
先頃、社会的排除にまつわるパンフレットに目を通していると、 ”社会的排除とはダイナミックな概念であり…云々” とあるのを見て、衝撃を受けた。

「ダイナミックな概念」って、凄い言葉だ。
「ダイナミックな概念」と言われると、社会的排除から泥臭さを抜きさって、垢抜けたような気がする。
動かない死んだ泥沼に「ダイナミック」を加えて、風を呼び、澱みに流れをうみだすのだ、という、まるで魔法の呪文のようだ。…

と、まぁ「この人なに言ってるかわかんない」と言われることもしばしば。
それで、上の記事を見かけて、手帳を申請しておくべきか、悩んでいるところ。現行の制度上では、私には手帳が出ることになっております。

あと残りの人生の最後まで、気が狂わないでいられる自信、というのは無いが、大勢の人が「健常者」であると誤解してくれているところに旨味を見出しているのも、事実。私の好きなトルストイ()も、スウェーデンボリ()も同じ病気らしいから、心強いというのもある。

奇妙なことに、私が「健常者」か「障害者」かというのは、手帳の有る無しだけのことだったりする。正直、私が手帳を持った時にかかる他人の「障害者」のバイアスは、ひじょうに残酷である可能性が高い。まぁ、百歩譲って、残酷なのは良しとしよう。それ以上に、またもや人間と社会に失望する機会が増えるのは、持病の癪によろしくない。

しかし、何かあった時に、共に暮らすダンナの負担は、最小限にしておきたいつもりが、手帳のために、他人の偏見による更なる災いを呼び込みはしないか…と、どうしたもんだか、現在悩んでいる最中である。


それはそうと、『病気の社会史―文明に探る病因』を読んだ。読後感は、視界良好、といったカンジ。この記事のタイトルの ”精神病は時代思想の屈折した投影” とは、この本の中から引用した。

知らず知らずのうちに擦り込まれている、病気や健康や医療の情報の見方を、ダイナミックに変えてくれる。「正しく恐れる」ための手引きになる。病気や死、健康に不安を抱く人には、ぜひこの本を薦めたい。
しかも、初版は昭和四十六年で、中身はまったく色褪せていない。ということは、
病気は文明が作る
とは、疑う余地の無い事実に違いない。

歴史の大きな流れの中で「今ここにいる自分」を意識させられ、その上で、私は近現代を卒業する方法を、思考の中で模索しはじめた。

近現代を卒業する方法。
そんな方法があるのかどうかも、未だ知らされてはいないが、考えてみると楽しいではないか。



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