2014/01/24

「ソグド人がどこに消えたのか」に思いを巡らすと



先週、ウズベキスタン大使館からプロフやサモサなどの差し入れがあるという新年会があり、それを食べることを目当てに出掛けた。
セレブやブルジョアが交歓する様子を尻目に、孤食をしていたところ、以前コンテスト()で最優秀賞だった女史と出くわし、華やかな宴で私はひとりきりにならずに済んだ。

その女史が、宴におられた、御年九十一歳の国立民族学博物館名誉館長と親しいらしく、私は女史のケツにくっついて、とりあえずご挨拶をしに行った。すると名誉館長から、「あんたも一緒に、これから呑みに行こう」とナンパされ、名誉館長のおごりで、女史とともに二次会に向かうことになった。

九十一歳のご高齢でありながら、現在も中央アジアで遺跡の発掘調査をなさっているという、屈強な超老人である名誉館長の、数々の薀蓄を肴にしようと思っていたら、名誉館長は、「ワシ、あんたの話が聞きたい」と仰るので、私は日々の悩み憂いや貧乏ネタ、果てはふんどしにまつわる薀蓄を披露して、とどのつまり、「あんた、おもしろい人だね。きっといずれ、いいことあるよ」と、ありがたいお言葉を頂戴したのであった。
ひとえに、あの場で女史に出会えたことが、心温まる時間へと繋がった、出会いに感謝とは、まさにこれ。



俗にシベリア抑留といわれるが、正しくは「ユーラシア抑留」であり、そこにいた人の数だけ物語があるのだろう。
比較的気候の温暖なウズベキスタンの、ナヴォイ劇場の建設にあたった第4収容所(ラーゲリ)は、別名「極楽ラーゲリ」と呼ばれ、そこはリーダーの尽力もあって、他と比べて待遇は悪くなく、それによって、現代の労働問題の解決の参考にもなりそうな、貴重な歴史が刻まれたと思う。(

それにひきかえ名誉館長は、ハバロフスクよりも更に10℃気温の低い、極寒の極東で四年の抑留生活から、奇跡的に生還なさったという。
私は名誉館長に訊いてみた。「(極楽ラーゲリの)あいつら、ムカつく、とか思いませんでした?」と。すると名誉館長は、「いやいや、私は命が助かっただけで、ありがたい」と仰った。

私は「九死に一生を得た」人に出会うと、握手をしてもらって、いのちのポイントゲットをするようにしている()のだが、もちろん名誉館長とも握手をさせていただいた。
名誉館長の言葉は、今年の抱負を「心で人を責めない」()とした私に、さくっと入ってきた。私も色んな人に出会ってきて、「心で人を責めない」こそ、心身の健康の秘訣ではないかと、その推論は確信になりつつある。

私は「心で人を責めない」方法を、何か、我流の方法で編み出そうと思った途端、実は、世の中への興味が随分薄れた。正直、日本が死のうが滅ぼうが、どうでもよくて、そして、それはそれで生き辛いものである。

でも、「ソグド人がどこに消えたのか」に思いを巡らすと、まだなんとか楽しくやれそうだ。世の中が騙してくれないので、自分でだましだましやるしかない。
そんなわけで、名誉館長が出しているいくつかの著作のひとつを手に取った。
その冒頭には、こんなことが書いてあった。

本書は大河アムダリヤを軸とした中央アジアを舞台とする東西南北の文化交流を、過去半世紀の考古学的発見と研究に基づいて紹介する試みである。筆者は、この貴重な半世紀の学問的成果は、それ以前の半世紀における二つの大戦の犠牲者たちの上にあると考えている。争いの絶えない発掘地域につかの間の平和が訪れたからである。



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