2013/12/31

大晦日も元日も賽の河原で石を積む

福祉の界隈で生業を得つつ、糊口をすすって、通算すると七年ぐらいになるのかな。
ヘルパー、看護補助、福祉課窓口、介護請求事務…と、これでプロ化する気が無い、私もなかなか大したものかもしれない。転職回数30回を超えるうちの、これはほんの一部分に過ぎないから。
このところ血迷ってプロ化しかけたが、私がこの方面でのプロ化を拒む理由は、度々ブログにしたためているが、まとめると、

医療を信用していない。この時点で、まず向いていない。
本来、支援が必要な当事者の側にいて、プロになるなんて、あり得ない。
この分野には、プロの支援者以上に、支援者を支援する人(理解者)が大勢必要なのであって、関わるのであれば、私は支援者を支援する人であるべきかと思う。

この点を踏まえて、来年は転居を機に、職種も換えたい。もう散々、勉強もしただろう。
やればやるほど、お国の権威と制度を盲目的に信頼しきれてしまう現場のプロたちが、アイヒマンテストで痛がる被験者に平気で電流を流す人たちに見えて仕方がない。

関連過去記事(

ところで、この年末にTwitterのTLを眺めていると、こんなのが流れていた。


リンク先から引用すると、
虐待されていた人たちが、事件発覚後もその虐待現場を離れることが許されないという状況が異常であることに、まず僕らは気がつくべきではないでしょうか。
まず、強度行動障害であるということが、他の施設での対応が難しいほどの困難者であるということは正しい認識なのでしょうか。本当に強度行動障害と言われる人たちと真剣に向き合って時間を過ごした経験のある人なら、この嘘に気がつくはずです。

私が自立支援で訪問する利用者も、こういうところを経て来た人がいるが、確かにそうなんだな。正直、介護保険を納めているから正義、とエラぶる一般高齢者を相手にするよりも、こちらの方が私は楽しい。
何かというと、彼らは若いし、伸びしろがあるからだと思う。

最初、施設を経てアルコール依存症で軽度発達障害あり…など、個人ファイルで利用者データを見た時は、「こんなヤツ、私にどうやって相手にせぇっての…」と愕然として、本人に直に会うと、アホかというほどよく喋り、アルコールを断つ薬の副作用で、常に吐き気をもよおしつつ、断酒会で班長を任されて、何気にやりがいを感じてそれとなく張りきっていたりする。
一般人が反省しないのに比べて、こちらは自分のダメさ加減をよくわかっていて、その上でのたうちまわりながら、必死に伸び上がろうとしている。
利用者データよりも、百聞は一見に如かずというのが実際で、私は大概、個人ファイルを熟読しない。
何よりも大切なことは、養育園に暮らすすべての利用者について、強度行動障害であったとしても、人間としての尊厳を取り戻させることです。尊厳に満ちあふれた人間として、職員の前に立たせることです。
って、まったくそのとおりだと思う。
しかし、「尊厳」という単語は難しくて、プロは多用するが、一般の、特にいちばんそこを理解することが必要な人に伝わらない、という宿病のような残念さがあるが。


かつて、私自身が憐れみを受けなければならない者だと、本当に気づいた時、私自身を励まし念じ支え続けていた信念の中に、「これ超えられたらシブい」「私はシブくなる」というのがあったのを、とりとめもなく思い出す。

人生自画自賛。
書き初めのお題は、これでいこう。

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