2013/12/28

来年の抱負



年末年始も休みは無い。がっぽり稼げるわけではなく、中途半端な普段と変わらない日銭にしかならない。
「介護保険を払っているのだから!」と、その程度のことでエラそうに振る舞う年寄りが、実はエラそうに振る舞う資格などないことを思い知る時を楽しみに、仕方なく出勤する。

この前、依存症の人たちの仲間の集い()で貰ったレジメに、魂を鍛えるために「したくないことを一日に少なくとも二つはやる」という言葉があって、これを私はけっこう気に入って、よすがにしている。

エラぶる年寄りどもは、オノレが差別と排除の依存症である自覚も無く、そのために私の邪魔ばかりする。連中は、カフカの「城」のように、本丸に辿り着けない。介護保険を払わされて当り散らす相手が違う。なぜ介護者に当たり散らすか。ダマされる方が悪いというのが真理()。


そうして、正月気分は味わえないが、来年の抱負だけは決めた。
心で人を責めないですむ方法を考案したい。人を責める気持ちが、自分の身体を蝕むような気がするから。
それは「赦し」なのか、「諦め」なのか、「蔑み」なのか、「忘却」なのか、他にもっと斬新な方法はないか。
性根の腐った底意地の悪い社会と顔をつき合わせて、「ああはなるまい」と思うような反面教師に囲まれていると、「心で人を責めないで過ごす」なんて、器用な芸当だと思う。
しかし、金をかけずに健やかに心身を保とうと思えばこそ、その器用さは身につけておかねば、と思うのである。
バカになるとか、人を責めずに自分を責めるとか、無関心になるとか、使い古されたありきたりの方法は、つまらん。人を責めない方法に、私なりの独自性が欲しい。

尖らず丸くなろうとせず、尖ったままでいいから、柔和であるとか。
その柔和さはスポンジのようであるより、水のようでありたい。
さらに、水よりもむしろ、風でありたい。

自分の思うとおりに生きよう。

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