2013/11/29

サトリ・サトラレ

前回()サトラレについて書いたので、引き続き、ちょっと。

十五歳の発病時()、信じてもらおうと必死になって、母の心を丸読みして、逆に気持ち悪がられて、あの後家庭内での溝と、私に対する扱いは決定的になったと思う。
あの、他人の心を丸読みする能力はサトリという。サトリという他人の心を読む妖怪の名前からきているらしい。サトリだと、写真を見るだけで、写真に写っている人の想いが分かってしまったりする。面白い以上に、私にはしんどかった。
そして反対に、想念が他人に伝わってしまうのが、サトラレ。どちらも、安定した「能力」として活用するのは危険で、面白がって濫用すると、後々面倒なことになる。
少々「勘が鋭い」ぐらいなら、日常生活に支障は無いのだが、サトリ・サトラレが出ると、神の力を得たと自惚れてしまいそうになる。しかし、神は、この自惚れを目一杯戒められる。

覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。(ルカ 12:2 )

という新約聖書の言葉、あれが、確かだということを、私は経験済みである。己の分をわきまえて、己自身を確かに生きることこそが、人として真摯な有り様だと、私は思っている。
私自身、サトリ・サトラレから正気に返るために、自分が何者であるかをよくよく自覚して、分をわきまえられるようにした。よく、「自分探しは無意味」などと近頃はいうが、決して無意味ではないし、無意味にしてしまうのは探し方が下手クソなだけだと、私は思うのである。

ところでこのところ、特定秘密保護法案ニュースが話題になっている。





特定秘密保護法案の件で思うのは、もしサトリとサトラレだと凄かろう、ということである。
この場合、ある種のサトラレが、秘密の「電波」と波長が合ってしまって、特定秘密保護に指定された内容を知ってしまう、ということが考えられる。それが別のサトラレにも波及して、秘密でも何でもなくなって、都市伝説化してしまう。特定秘密にした側にしてみれば、「なぜあの無関係なキチガイが特定秘密を知っているんだ!?」ということになりかねない。

まぁ、キチガイがワケのわからないことを言っている、と片付けやすいから、大変なのはサトリとサトラレの本人と、その周囲の人たちだけかもしれない。ただ、そのキチガイを罰してしまうと、逆に特定秘密がバレかねないから、なんだかな、という思いも正直無くはない。

秘密にしたいこととは、本来、言いたくて言いたくて仕方のがないことではないのだろうか。サトリやサトラレは、そういう想念を否応なく拾ってしまうので、特定秘密を指定する側にそういう思いがあると、無関係なサトリ・サトラレにとっては、とんでもなく迷惑である。
だから特定秘密を指定する側は、そういう思いを持たないで秘密にしていただきたいと、私などは思うところ。

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