2013/11/24

奇跡を起こしてみた

無理やりに逆らってでも動く気のない人は、「手がかかる人」「面倒くさい人」である。
関わる人にそういう印象を持たれたら、後々、自分を袋小路に追い込んでいくだけである。
じっと死ぬのを待って横たわっているよりも、自分から死に向かうように、自分を苛めぬいて、苦しめて、もっとも嫌なことを「どうせ死ぬんだから」やり抜くのである。「どうせ死ぬんだから」何もしないで、手を抜いて、他人の手をわずらわせるのは、これは、人間の在り方として間違っている。

まだ生きている、自分の意志で動かせる身体の部位がある、ならば、痛みで悲鳴をあげながら、他人の意志に依らず、自分の意志でとことん動かすべきなのである。そうすることで、お迎えを逆に迎えに行くのである、死にたいならば。
しかし、いや、死にたいんじゃない、生きたいんだ、と本音が出たとする。自分の意志で動こうともしない、お前なんか、生きてもいやしないじゃないか。なのに、何が「生きたい」だと?

つまり、究極的には、「楽がしたい」ということか。「手がかかる人」「面倒くさい人」のままでは、満足のいく「楽がしたい」は叶うまいよ。



十九歳の時の入院中()、歩けるはずなのに、寝たきりで、背中には褥瘡の痕があり、常に看護師の手をわずらわせている人がいた。一体彼女に何があって、そうなったのか、知る由もないが、看護師が「自分で起きれるでしょ!自分で起きなさいよ!」などと声を荒げて、その後には彼女の悲鳴のような「できない〜、できない〜」「かんごふさ〜ん、かんごふさ〜ん」という声が、病棟内に響いたものだ。
ちょっと傍目に、彼女がかわいそうではないか、看護師ども鬼畜過ぎやしないか、オイ、といった同情心も、その光景を見守る患者内にはあった。

ある日いつものように、彼女の病室では看護師が寄ってたかって、車椅子に乗る練習をしていた。「ほら、ほら、乗れるじゃない、ほら」とか言いながら、看護師が車椅子に乗って実演してみせていた。それを見て、彼女は寝たきりで泣き喚いて「できない〜、できない〜」と。

思うに、二十年前のあの頃というのは、まだ身体の機能を効率よく駆使してトランスするとか、そういう情報が、看護師たちに一般的に普及していなかったのではないか。今なら、あの状態の人を機能訓練につなぐことは、まったくわけないことで、当然のことなのだが。
その上、鬼畜の看護師に対して、彼女も半ば頑なに心を閉ざし気味だったのだろう。頑なな心では、嫌いな人間の「命令」に、絶対服従することはない。

そして数時間後、私が彼女の病室の前を通りかかると、看護師たちはナースステーションに戻っており、彼女は病室にひとり取り残されていた。彼女は起き上がって、車椅子に乗ろうとしてみたのか、ベッドから転落したらしい。中途半端な姿勢のまま、「かんごふさ〜ん、かんごふさ〜ん」と絶叫していたが、わがままな人の言うことだから、と看護師たちは放置していた。

ただ、その時、その瞬間、私に ”ネ申” が降りてきた。

私には、彼女が自分で起き上がることができる方法が、「見えた」。何のことはない。彼女は、起き上がるのに必要な、「手をつく」「身体をひねる」という動作手続きを「忘れてしまっている」、ということに気づいたのだ。だから、彼女の言う「できない」は、ホントだったのだ。
それで、床に中途半端な姿勢で転がっている彼女の横に行き、何も言わずに同じ体勢をとってみせた。その状態から、床に手をついて身体をひねって、起き上がるまでを実演してみせた。
彼女は、私のやったとおりの真似をして、自分で起き上がることができた。そのことに、彼女自身が驚きを隠せなかった。

それで、どうも彼女は、「自分でできる」という自信が沸いたらしく、その直後から急速に、日々リハビリに精を出しはじめた。自分で車椅子に乗ることができるようになっただけでなく、果ては杖をついて、廊下を往復するようにまでなった。まるで、「クララが立った」である。
私は特に彼女と言葉を交わすことは無かったのだが、私の入院中に、彼女は彼女自身の永きにわたる入院生活に終止符を打ち、退院していった。彼女とは退院するとき、はじめてまともに言葉を交わした。それが、「ありがとう、あなたのお陰だからね」という、彼女のお礼の言葉と握手だった。

いやホント、たまに ”ネ申” が降りてくるものである。
しかも、神さんは、時も人も選ばずに、ちょうど具合の好さそうなところを依り代にする。ひょっとすると、多くの場合は「 ”ネ申” だ」と気づかないまま、神さんに使われている。

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