2013/11/23

「どうしてこんなことになっちゃったの?」

酒に酔って記憶を無くす人がいるが、私は呑んだくれて記憶が飛んだ、ということがない。
同じように、狂って錯乱に陥った時のことを、私はかわいそうなくらい、しっかり覚えている。
頑張れば、その細部を書き起こすこともできるのだけれど、あまりそういった話は他人に好まれる話ではない。
ラリりたくて、幻想を見たくて薬に手を出して溺れる、という人もいるらしいが、あれには私は共感しない。薬など無くても、ラリるのも幻想を見るのも、私にとっては簡単なことだ、と思うから。私は、溢れんばかりのガチキチの才能に恵まれてしまったのだ、と自分を慰めている。
なぜ、私がそんな風に生まれついてしまったのか。原因を特定するのは危険だろうから、今ここではあえて言わないけれど、思うに、血縁の魂の結晶として生まれてくる際に、デトックスのようなかたちで、「要らない」カスばかり寄せ集めて排出された、残滓のような魂が誕生してしまうこともあるのではないか。
血縁の囲いの中では「要らない子」、しかし、血縁の魂の浄化のためにはやむを得ず必要だった、私はそういう者として生まれ出たのではないか、と思うのである。しかし私の生家は、私がそんな風に思っているということに耳を傾けられるような、思いやりに満ちた家庭ではなかったから、今もただ、自分でそうではないか、と思っているだけである。
それでも、人間の社会にあっては「要らない子」でい続けるわけにはいかないので、クソ社会であることを承知のうえで、だましだまし、必要とされる人間を装うのである。

もちろん、死んでもよかったし、今、ここまでいのちを投げ出さずに生きてきている私は、本当に、自分で自分をホメてあげたい。まぁ、生きる道中で、「死にたい」思いを抱えている私を、ありのままで受け止めてくれるダンナに出会わなければ、生まれてきた意味も生きる意味も、いのちの意味も、すべてを短絡的に「無意味」で結論づけるために、私の有り様が丸くおさまることはなかっただろう。

そして今、私自身が常に「死にたい」思いを抱えつつ()、にもかかわらず、日々「死にたい」が口癖の利用者を相手にしなければならない。(

思えば、私は、なぜここまで生きたのだろう。捨て児のように扱われた十九歳のあの時()、青春を謳歌する他の同世代の人に比べたら、これが私の人生かと、あまりに情けなく、絶望して、私は食べることも飲むこともやめて、本気で死のうとしていた。
なのに、あの時死なずに、私がここまで生きるのを支えたのは、入院していた病院に現場研修でたまたまやってきた、ひとりの看護学生だった。

私が入院した病院には「思春期病棟」なんて、デリカシーのある気の利いたものはなく、不遇の戦災孤児のまま老いた人や、認知症の年寄り、虐待に遭った末に変わり果てた姿の人やなんかが、キチガイクラスタとしていっしょくただったのだが、大体、看護学生が研修で来ると、若い患者や中年の患者ではなく、彼らは年寄りの方にすり寄っていくことが多かった。私の入院中も、何人かの看護学生が来ては去っていったが、なぜかひとりだけ、他の患者に見向きもせず、私のところに来る看護学生がいた。はっきり言って、スタイルも性格も好い美人であった。

基本的に、病院の医者や看護師というのは、ナチスの収容所のゲシュタポみたいなもので、患者の意味のわからない薬を無理やりに投薬するのが仕事らしく、私はその私自身がよくわからない薬を無理やり打たれ、飲まされ、呂律がまわらず、ボロボロで、フラフラで、誰から見ても完全にキチガイに見える、という姿形に仕立て上げられてしまっていた。親族にしても、私がそういう目に遭っているということに、何ら違和感を感じられない類の人々だったので、私は尊厳を奪われ、生きる意欲を剥がれて、食べることを拒否して(それでも薬は無理やり投薬される)、まさに死のうとしていたところだったのだが、ちょうどその時に、その看護学生はやってきた。

ひとりベッドに青息吐息で横たわっていた私は、彼女に、「みんなあっちにいるのに、なんで私のところにくるの?」と訊くと、彼女は「あなたが一番若いから」と答えた。そうして、ボロボロになっている私の手を握って、静かに、「どうしてこんなことになっちゃったの?」と涙を流した。
恐らく彼女は、私と同世代の青春を謳歌する人々と、私の有様とのギャップに、深く心を痛めたのだと思う。

何というか、あの時、私は不思議な力を得た感じがする。
かわいそうな他人への同情が多くの場合慰めにならないことを、私は知っているが、同情そのものが決して無駄ではないということも、私は肌身でもって、知っている。家族に見捨てられ、人体実験の道具と化した私に、正面から向き合って、涙を流して同情してくれる人がいた、ということ。私は、そんな人はいるはずない、と諦めきって絶望して、死に向かっていたわけだから、私は彼女の名前も何も知らないが、その出会いが私をここまで生かしたのは、間違いない。

翌日、ベッドから無理やり起き上がった私を見て、彼女はホッとしたようで、「生きてた、よかった」と言った。
あの時、私は無理やりベッドから起き上がったが、今なお、無理やり起き上がる、無理からに生きる、というのが私の行動のスタンスである。死に向かい、地に伏したい衝動に逆らい続ける、嫌々しかたなくいのちが尽きるまで生きることの重要さを、私はいつしか体得するに至った。

だから無理やりに逆らってでも動く気のない人というのは、私からすれば多くの場合、ただ怠けもので甘えているだけで、その程度の知恵しか持てなかった人たちなのである。

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