2013/11/19

経歴を生かす手立てを考える

私の、立派なキチガイの経歴()と、福祉・医療の界隈を半身の生業としてウロついている経歴を、世間様の了解を得やすいかたちで融合すると、やはりピアサポーターということになりはしまいか。
というわけで、ピアサポート専門員養成講習を受講することを思い立った。

しかし、講習に応募が殺到しているとかで、現状「単に興味があるから」とか、そんな生ヌルイ理由では講習にまで辿り着けそうもない。
受講要件に、「現在ピアサポーターとして業務に携わっている」「当事者である」などのいずれかに該当、とあり、精神の利用者と関わることもある、という点と、ここは「当事者である()」を前面に推す方が有利かもしれない。

「当事者である」を前面に推す時、経歴を話すと長くなるから、多くの場面で最後まで聞いてもらえそうもない。障害者手帳でも取得しなおしておけば、それを見せて「ああ、そう」と、みなまで言わずに納得してもらえるだろう。というわけで、およそ10年ぶりに緑色の手帳の申請をすることにした。

ところが恐らく、「病院から地域につなぐ」道筋が王道だという決まりみたいなものがあって、以前、病院が地域につながずに、放ったらかしにしたような人たちに、窓口なんて無いのかもしれない。
そこは想定の範囲内ではあるし、地域差もあるかしらんが、しかしやはり、精神の窓口も相談先はたらい回しで、水際対応がすごい。電話は常に「回線が混み合っています。おかけなおしください」ときた。多分、受話器はずっと上げっぱなしで放ったらかしにしてあるんだろう。電話の裏で担当者が「げー、また統失かよ」とか、ぶーたら言っている情景が目に浮かぶ。
市役所の障がいの窓口の電話応対にいたっては、逆にそちらの方がヒステリーでキチガイ染みており、受話器の向こうでキャンキャン喚く役場の人の話を、冷静に傾聴している私って、何? ああ、「支援ー被支援の関係」の可変性ってやつね、なるほど。

と、いやあもう、バカじゃなかろうか。

発現が十五歳()だから、今は寛解の状態ということで、その上「ピアサポーターを目指す」とか、高い志を見せると、おそらく一発で医師の診断書も出ると思うのだが、さてどうなるでしょう。 

どうなるでしょう、といえば、ダンナの方がどうなるでしょう、である。(
一応、死んでおらず、ダンナは口がきけるようにまではなった。私のことが恋しくなってきたのだろうか。現状、精神的な危うさは、私よりもダンナの方がヤバい。この文面では、ダンナのヤバさ具合が伝わらないのが、心苦しい。

食べてはくれまいと思いつつ作った根菜の煮物に、ようやく箸をつけたダンナは、「ふつうってのは、何なんなのか、わかんない」と、言いはじめた。

「森に、熊がいて、そこにいた人を、爪立てて襲うとか、それは、ふつうだろ…」

ここで、「熊はね、でも人はそうじゃない」とか、そういう野暮なことは言ってはならないのである。この言葉の真意は、人間が考案した道徳の何たるかのバカらしさなのである。
やれやれ。ダンナは私というキチガイ経験者のヨメを拾って、ラッキーだった。ふつうの常識人のヨメなら、とうの昔に、ダンナは死に追い詰められていただろうよ。

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