2013/11/11

キチガイをナメてはいけない



「インターネットが全人類監視ツールになる」らしいが、実は正直なところ、そんなに恐るべきことなのか、私にはよくわからない。

というのも、統合失調症が精神分裂病だった時代()に、私は四六時中ずっと、霊から監視されて過ごさねばならなかった。この苦しさと面倒臭さは、おそらく、同じ病で同じような症状で苦しんだ人にしかわからない。
心の中のどんなことも覗き見られるので、生きた心地がしない。寝ても覚めても四六時中、自分の魂がケダモノに喰い荒らされていく。そんな経験を、周りの人がキラキラと輝いていると言って憚らない青春時代に、ずっと味わってきたのだ。
何か思念しようものなら、そこに必ず茶茶が入り、一人でいてもひとりきりになることができない。それがずっと、自分の中で起こっているのに、周りは誰も気づかない。

そんなわけで、十五歳からの10年間ぐらいは、ずっとそんなカンジで格闘し続けていた私は、「電波」の耐性をつけてしまった。キチガイをナメてはいけない。

それに、このブログのアクセス数を見ても、赤貧四十歳主婦兼フリーター(しかもキチガイ)みたいなのが、いかに世の中的にはどうでもいい存在か。ほぼ誰も興味を示さない。私の存在は、誰かが生きていくのに必要とされるほどの価値は無く、別に、いなくてもいいくらいのものである。
同じくダンナは貧しさと不安定な生活のために、クレジットカードを作ろうにも、審査が通らない。無いクレカの暗証番号を盗み取る幻想に浸るほど、「全人類監視ツール」の連中はヒマを持て余してるとも思えない。
むしろ連中には、キチガイの私が、毎年キレイに仕上げている、確定申告書の内容をご覧いただきたい、というぐらい。そしてガサ入れも、無駄骨で徒労に終わった時の虚脱感は、耐え難いものがあるだろう。

「つまり、キミは、利用価値が無い、ってことかな?」

とか、そんなのはイヤミでも何でもない。

それよりも、どれだけ語ろうと、どれだけ見せようと、私自身は伝わらないものである。
別にインターネットに限らず、家庭内や、普段の実生活で様々な人に接する機会があるが、私に向かって心が開かれていない人は、適当に、その人にとって都合のいい私の像を、その人の中にこしらえて、それに向かって私の名で語りかけるだけである。
そして心の開かれた人、なんてのが、一体どの程度存在するのか、と。大した人数ではない。ことによると、皆無かもしれない。

「全人類監視ツール」が、私を本当に掌握できるなら、大したものだと思うが、多分できないし、やらないだろう。
私のような、根が真面目で正直で、社会的にみてどうでもいいうえにキチガイとくれば、「全人類監視ツール」は取るに足らないものだけれど、そうでない人にとっては脅威になるのかもしれない。

2 件のコメント:

  1. 興味深く読ませて貰っています<(_ _)>

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  2. 奇特な方ですね。
    よろしくどうぞ。

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