2013/11/10

キチガイ夜話

ここから当分、キチガイの文章が好きだ、という人以外は、目を通すのをやめてください。

以前、「龍の声を聴いた」話は書いた。(

今なおしばしば、龍が風のふりをして通りすぎるところに、私は遭遇する。
龍はいろいろいるらしいが、私が遭遇する龍は、私の波長に合った龍だけである。
その龍が何をしているのかというと、「声玉」を集めてまわっているのである。
龍はずっと昔からいて、その時代ごとに、龍なりのカテゴリーごとに区分けした人々の「声」をコレクションしている。

貴族の声玉、武士の声玉、下町のオッちゃんの声玉、はたまた時代が移ろうと、サラリーマンの声玉、女子高校生の声玉、外国人の声玉…のように、そうして集めたそれをどうするのか、というと、龍は、話しかける相手に似合った声を、声玉を使って出すのである。

私が聴いた龍の声が「幼稚園児の合唱」のようだった、というのは、龍が幼児の声を集めて作った声玉をのんで、私に語りかけたためである。
なぜ龍が、幼児の声玉を選んで私に語りかけたのか。多分、婚期の近い乙女の母性なりに語りかけたかったのではないか。

龍はあらゆるところで、声玉を役立てるために収集しているのだろうが、で、何を根拠に龍が「声玉」とは、と訊かれると、こういった龍の情報自体が、どこからともなく染み込んでくるように入ってくる情報なのである。

だから、嘘の情報だと他人は思ってもらって差し支えない。私にとっての事実であればいいのである。
ただ、私と同じ、もしくは似たような体験をした人があれば、ちょっと情報交換をして深めてみたい、という思いはある。

そして。
かつて多摩・武蔵野稜のすぐ近くに住んでいた時、昭和天皇の霊に会った話を書いた。(
あれは実際、昭和天皇ご本人ではなかった、と、これもどこからともなく染み込んでくるように入ってくる情報である。
では何だったかというと、そのあたりに棲んでいる、神さんの遣いのキツネかタヌキが、昭和天皇に化けていた、ということらしい。
ひょっとすると、その眷属を遣わした神さんが木花咲耶姫命だったのだろうか。

それと。
多摩・武蔵野稜のすぐ近くに住んでいたというのが、高尾山の麓近くということで、初めて高尾山に登った日の夜、寝入りバナに、私は天狗に舞を披露してもらったことがある。

「天狗の舞」というと、顔の赤い天狗がワッサワッサと羽音を立てて舞っていそうな雰囲気があるが、まったくそんなことはなく、能で見られる舞のような、眠気を誘うような、静かな、いたって地味な舞を、カラス天狗(飯綱大権現?)がヤツデの団扇を使って、山門の前で歓待してくれたのである。

まだある。
発病した十五歳の時()、幻聴さんに連れられて行った須磨の海岸で、「国の神」と名乗る声を、一度聴いた。
その時分はまだ、幻聴さんとのつき合い方を掴みきれておらず、そうして錯乱している私を「助ける」と言ったのが「国の神」だった。「国の神」の声を聴いたのは、その一度きりだが、じゃあ、「国の神」って誰?ということである。

実際、日本は八百万の神がいるだけに、色んな神さんが苦しんでいる私を助けてくれようとしていた、と思う。
最終的に、神託好きの八幡さんのご加護は、今なお常日頃感じることが多いが、しかしあの時の「国の神」は、おそらく大国主命だった。

どこからともなく染み込んでくる情報に依るが、このところ、水木しげる先生の世界に触れていて、私のこれらの事実が「嘘」になる世の中とのつき合いの中で、気を遣って封印し続けている不健康さから解放されて、吐き出すと何気に清々しい。

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