2013/10/27

「助けて」なんて言わない

共産趣味者である私は、「革命的」なものに吸い寄せられる。(
「革命的」なものは、血沸き肉踊り、私を鼓舞させるのである。
「革命的」なものから放たれる興奮と熱狂は、日々の疲れを癒し、慰めてくれるものである。

そんなわけで、奥田知志×茂木健一郎共著の『「助けて」と言える国へ ──人と社会をつなぐ』を読み、ホームレス支援の草分け的存在である、牧師の奥田氏が、けっこう「革命的」だったのには、少なからず興奮した私である。
奥田:ええ、三里塚でヘルメットかぶっていました、東峰団結小屋とか。渋谷駅で、隊列組んで座っていました。

別に、この本は共産趣味的なものが主体ではない。
今後創造される、新たな日本の社会のエッセンスとなるべき話が主体である。
日本の「表向き」の面から剥がれ落ちていく「裏面」の日本。
その、剥がれ落ちた裏面側が、これから創造されようとする、”「助けて」と言える国” かもしれない。
かもしれない、というのも、実践が必ず成功するとは言い切れない。おそらく、実を結ぶにしても、数々の失敗を味わいつつ、乗り越えつつの、根気の要る作業になるはずと、予想に難くない。

社会的包摂()の時代は到来するのか、しないのか。
「そんなのできっこない」という虚無感漂う諦めムードと、それでも草の根で格闘し創造し続けるバイタリティーモードの、私はちょうどその狭間にいると思う。
社会的包摂が必ず成功する確証などないものの、それ以外に目指すべき方向が、この日本の社会に無い。目指さず何もしないなら、狂気と退廃と荒廃の中に身を委ねるだけになる。それもどうかと思うので、様子を見ながら、新たなムードの糸口を見出そうとしているところ。

しかし私自身、人に「助けて」なんて、言わない。
隙をつくると突け入られるのである。「助けて」と言う時の人は、隙だらけになっているはずである。「助けて」と言う相手を間違えた時、あまりに危険なのだ。
私は困った時、あえて「助けて」という言葉を選ばず、他の言葉で窮状を訴える。その言葉を練り上げつつ、思考の中から助かるための糸口を見出すように努めていると思う。
もしくは、自分の「助けて」は、助かるまでひとまず他所に置いておく。
ある意味私は、”諦め”という名の心地よいふかふかの布団を脇に敷いていて、いつでも横になれるようにスタンバっているのである。

自らを助くことのできる、私のような者はともかくとして、奥田氏は、「助けて」と言えない社会について、こう指摘する。
小さなころから弱音が吐けない、「助けて」と言えないのは確かです。僕は、子どもが「助けて」と言わないまま、ある日突然自らいのちを絶つ社会は、クソ社会だと思っています。

出会うということは、もはや私が私でいられなくなることである。私の中に、出会った人が住み始めるのだ。その人の存在が私の一部にとなる。自分だけで生きている間は、自分の想定内で自由勝手にやりくりできている。しかし、一旦誰かに出会ってしまうと、想定通りにはいかなくなる。それが出会うという意味であり、絆を結ぶということなのだ。
このような感覚が強まった背景に、やはり「自己責任の呪縛」があるように思う。…

困窮状態に陥った原因も、そこから脱することも困窮者本人の責任だと言い切る。また自己責任だから社会や周囲は助けなくていいという、社会の無責任化を招いた。自己責任も大事だが、しかし、本当の意味で自己責任を果たすには、社会や周囲の支援、あるべき社会保障などが、きちんと行われていることが前提となる。

通りがかりの他者を含めて、社会が行うべきことは、「自己責任を果たさせるための支援」である。…
人生の選択が自分自身でできること、さらに選択したことに責任を持つことは、人間の尊厳にとって欠くべからざることだ。個人が自己責任を果たせる社会をつくるために、社会がまず責任を果たすことが大切だ。残念ながら「自己責任論」が社会との対概念になっていないばかりか、人と関わらないための理屈になっている。
さらにこの構造は、困窮者に対してのみならず支援する側にも向けられる。「誰かを支援したいのなら、自分一人で責任を負って最後までやれ」というプレッシャーが支援者に投げかけられる。…
本来社会は、そのような「善意の第三者」が「持続的な伴走者」になるための支援を行わなければならない

というわけで、先頃私は、伴走型支援士の講座()を受講してきたのである。
実はこの本の内容の殆どは、先頃の伴走型支援士の講座で、私は直に奥田氏から拝聴してきたのであった。

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