2013/10/04

立場が逆転する話

「あなたっ!血が出てるわよっ!」

とある日、訪問先の利用者が、私の膝を指さして言うので、ふと見ると鮮血がついていた。そこで自分の手に、いつの間にか、虫さされの掻き傷から、けっこう血が出ているのにきづいて、利用者が差し出すティッシュで血を拭き取った。
そしてその手に、いくつか蚊に刺された痕が浮き上がっているのを見つけた利用者が、「キンカン、キンカンあるわよ!塗って行きなさい!」と、言われるままに私は、ありがたくキンカンを塗らせてもらい、一体どちらが世話をされているのか、という立場の逆転が起こった。

「支援する側」と「される側」の固定化を避けること。
先日の伴走型支援士の講座()の中でも強調された、 ”「支援ー被支援の関係」の可変性や相互性の重視” ということ。言い換えれば、「助けられた人は、助ける人になれる」という、この度、先の利用者宅で私が血みどろになった件は、これの一例だと思う。

ともすれば、支援する側の上から目線が、実際は支援になっていないという、支援する側の手前勝手な単なる自慰では困る、という、このごく当たり前のようなことが日本で叫ばれるようになったのは、悲しいかな、ほんのこの数年内のことだと思う。

やられたらやり返す!恩返しだ!という、健全な関係性を創造する意図を持つことは、今後、ひじょうに大事だと思う。



ところで、あるところで、生保受給者を「乞食」呼ばわりする人らがおり、もののわからん人らだと思って眺めていた。
本当の「乞食」の親玉は、路上生活者や生活困窮者とは反対側の人々ではないか、という気が私はするのである。

かつて乞食には階級があり、「ケンタ」「ツブ」「ヒロイ」などと分類されていた。(
「ケンタ」は定まった場所に出て現金を貰う、乞食の中でも上位の乞食。そして乞食の中で手腕のある人物は乞食頭になる。長年の乞食は勢力化して、他の輩は乞食頭の配下に付かねばならなかったとか。
「ツブ」は「ケンタ」のように群れない。出没場所も定まらない、流しの乞食。
「ケンタ」がキャッシュを好むのに大して、「ツブ」は現金でも残飯でも何でも貰う、自主独立型。
「ヒロイ」は落ちているものや捨ててあるものを拾う。…

で、 “乞食の生活は団体的であり、仲間づきあいによらねばならぬ” のだから、単に生保というだけで「乞食」呼ばわりする人らは、オノレが実際は「ケンタ」の仲間でありながら、仕事ごっこか会社ごっこのごときで、何を上品ぶっているのか、と。

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