2013/09/17

自立、自立とよくいわれるが

「自立」ということを、私なりに考えてみた。
ケースバイケースで、この考えをすべてに適用できはしないが、現時点で、あくまで私なりに。

人の自立を促すとき、自立を支援する側は、痒いところに手が届いてばかりの心地よい支援だけを常態化させていたのではダメだと、私は思っている。心地のよい支援に、必ず、不快なものを混ぜることで、「自分でやらねば」「お前の助けは借りない」という気にさせること。

そのように言えば虐待だと言われかねないが、実際、私はそう思う。寄り添いながら生きるとき、清濁合せ呑みつつ、つかず離れずのほどよい距離感を保つ、寄り添い方は思考の連続なのだ。
そして必ず、支援者と要支援者は、いずれその関係から袂を分かつこと。

自立してもらっていずれはさよならする。さよならしたその先は、自力で切り拓いていってもらわねば、困る。
その人の人生を生きるのは、その人自身であって、支援する側は、他人の人生まで生きることはできないのだから。

自立してもらうことを目指すとき、支援する側とて、どれだけ心地よい支援を心がけようと、必ずしも心地よい報いとして直接返ってくることはない。
ともすれば、自立を支援する体で共依存、というのが、どうにも受け付けない。

と、私自身が「自立」ということを、どう捉えているかというと、図(←)のようになる。

この、私が勝手に考えた捉えかたと、「自立」についての社会的な共通認識を、どのようにすり合わせていくか、今後の私のちょっとした課題である。
ちなみに、私のバイト先の路上生活者の支援もしているNPOによると、自立の定義は三つだという。
① 経済的自立
② 日常生活の自立
③ 社会的自立
一般に、世の風潮や福祉事務所の推すところの自立は、①の「経済的自立」を指すことが多く、これが先鋭化してしまうことで、ダメ人間のレッテル貼りにつながっていくという。しかし、現実的に、平凡かそれ以下だったり、何気に要領の悪いような人が、経済的自立につながるような金になる仕事が、今の社会を見渡して、どの程度あるのか、と。

②の「日常生活の自立」は、自分の身の回りのことが自分でできる、といった自立。しかし、高齢者や障害を抱えた人などは、誰かの助けを借りなければ難しい自立である。
③の「社会的自立」は、「社会性の自立」や「関係性の自立」などと言葉を置き換えることができるそうで、バイト先のNPOでは、この③の自立を重視しているそうだ。

つまり、「社会に参加していたら自立とすべき」と捉えるわけである。
この③を重視する理由は、「社会からの孤立を防ぐため」ということらしい。

しかし、中には孤立を目指す人もいるから、そこは決して無理強いではなく、本人の意思を尊重しつつ、ということで。
私自身、割と孤立を目指すタイプだと思う。主体性はあるが協調性に欠けるがために、暮らしから「社会を」排除する発想が強いので。だからその意思を尊重してくれるのは、ありがたい。
それで、生保並みかそれ以下の不安定な収入でどうにかしているわけであるから。

そんな私に、
「生保の申請は、うちのNPOを通すとスムーズにできるよ♪」
と、理事長もオススメしてくれるのである。冗談だとは思うが、半ば本気もあろう。
いざというときには、世話になるかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿