2013/09/22

伴走型支援士の講座を受講してきた

伴走型支援士2級の講座()を三日連続で受講しに行った。

初日に酔っ払って帰ると、ダンナが「楽しかった?」と訊くので、「うん。交流会で、大学のエラい先生に絡んでクダを巻いてきたよ」と答えると、ダンナは「良かったね」と、私の頭を撫でるのである。
二日目に、体力的な限界のピークがきて、睡魔と戦いながら帰宅すると、ダンナがヘルシーな手作りギョーザを作って、私の帰りを待ってくれていたのである。

様々な社会問題の中でも、単身、独居、孤立、孤独といったことが浮かび上がる昨今の世情。
この度の交流会では、「カミさんが怖くて家に帰りたくない連合会会長」などと自称する方もおられる一方で、私はなんと幸せ者なのか。
私はダンナとめぐり合った感謝と喜びを、手作りギョーザの淡白な味とともに、しみじみと噛み締めたのだった。

初日に配られたテキストは、私ならば、少なくとも一週間かけなければ目を通せないような内容と分厚さのもの。じっくり目を通す時間も無いままに、最終日の筆記試験に突入し、まるで解答用紙に慌ててウソばかり書き込んだような、何気に残便感のある仕上がり具合となった。
さりとて、テストの結果など、忘れてしまいたいことは、振り返る気もない。

しかしこの伴走型支援の理念は、私がこれまで福祉に関わる仕事の周辺をウロついて、常々「痒い、キモい」と感じていた違和感のかなりの部分を解消するもので、今後この理念が福祉の基盤に加わるということを知ると、正直ホッとする。
社会資源のヨコの連携の充実をはかり、 ” 経済的困窮と社会的孤立に同時に対応し、個人に対する支援と社会に対する働きかけをともに志向した支援 ” ということで、これまでの日本の社会では死に体だった受け皿の部分を、再構築、創造していこうという、昨今、福祉も垢抜けてきたものだと思う。

この講座で「ヨコのつながりが大事なんだ」、ということを一応理解した私は、交流会で、タテ方向のヒエラルキー的には上位の、大学のエラい先生にヨコから呑んだくれて絡んでいったわけだが、エラい先生も、「この度のこの講座の教科書は、一般書店で売っているようなものなんかより、本当によくできている!」と断言していたから、そうなんだろうと思う。
受講料の一万円を払って、筆記試験で落とされていたとしても、私は得をしているはずだと思いたい。

この度の講座で、私の中でのイノベーションともいえる言葉を、配られた資料の中から覚え書きとして引用しておく。

健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を低くすると、何にも依存していないかのように錯覚できます。”健常者である”ということはまさにそういうことなのです。
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態ことが”自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。

私の中で、「依存」の捉えかたが新しくなった。

0 件のコメント:

コメントを投稿