2013/08/19

「気のせい」だから「筆舌しがたい」話

いかにして誤解や行き違いを解消するか。これは私の暮らしの中では、かなり比重の高いテーマである。

すごくいい人に会った。
「いい人」というとき、一般的な「やさしい」だの「思いやりがある」だのの「いい人」というのではない、その人をどう形容すべきか、まだそれを表す言葉が無いんじゃないか、と思ういい人がいて、だ。

遠からず近からずなんだけれど、その人を例えるなら、『北の国から』の田中邦衛みたいな人である。
小っちゃいオッちゃんなのだが、素朴で、飾り立てず、よく動き、純粋で、荒削りで、明るく、やさしく、正義感が強く、…とか、どれもそうなんだけれど、ここに並べた言葉だけでは、ぼやけてしまう。
端的に、キャラがいい、というか、仏だな。「大明神」。

仏って不思議なもんで、この「大明神」のかたちを似せて仏像を作っても、それを見ただけで、実際に出会わないなら、「大明神」何がいいのか、あのキャラは絶対に伝わらないと思う。
なぜ聖典の神さんが偶像を禁止したか、わかるような気がする。

百聞は一見に如かず。一期一会。正確に伝えるのは難しい。

ところで、このところ流行りの「ロジカルシンキング」()を実践しようと、最新の本を読みながら何気に脱線して、『実践カバラ―自己探求の旅』を読んでいる。以前通読したものの、論理的思考を実践するなら、私に向いているのはこっちだろう、と再読しはじめた。
そこには、こう書いてあった。
”神々は「気のせい」でなければ感じとれないという意味で「気のせい」なのです。”
カバラを実践すると、この「気のせい」の部分が確かな実感でもって味わえることになるのだが、前述の「大明神」のいい人柄が、この「気のせい」の部分だからこそ、正確に伝えるのが難しいのだと思う。

「筆舌しがたい」とか「言葉では言い表せない」とか「どんな画家をもってしても描くことはできない」とか、そういうのって卑怯だよな、と思いつつも、実際そうなんだわ、ということで。

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