2013/07/08

撲滅されざる feel like

仁丹は医薬部外品で、医薬品ではないが、暑気あたりに効くと、効能に謳ってある。そして、実際に、効いている、ような気がする。
医学的にさしたる効果も無いとされるにも関わらず、効いているような気がする、ということは、仁丹はホメオパシーの一種だろうか。

先の利用者()は、よく、「もうすぐ死ぬような気がする」「人と喋っていると、痛くなくなるような気がする」…などと、「〜ような気がする( feel like )」なニュアンスの発言の多い方だが、私自身もそういった者なので、とてもよくわかるような気がする。

できる限り、思いに対して正直に、正確に伝えようとするならば、どうしてもそういう言い方にならざるを得ないことが多い、と思うのだが、どうだろう。

この「〜ような気がする( feel like )」は、曖昧さを醸し出している印象を与えるが、私は、この「〜ような気がする( feel like )」感覚ほど、真実に対して具体的な感覚は無いのかもしれない、という気がしている。

そんな私は、確かに、アヤしげな代替医療が、好きである()。
正直、現代の医療に弄いまくられるぐらいなら、死んだ方が断然マシなクチ、ような気がする。

ところで。
トルストイの『イワン・イリッチの死』は、「死の文学」と呼ぶべきかどうか、緩和医療というか、ターミナルを描いた文学作品なわけだが、今際の際からあの世へ旅立ったところまでを描いた作品でも、(私の好きな)『南方郵便機』よりも、痛みや苦痛や、病人が周囲の人々からの隔絶を感じる様が、リアルに描かれている。トルストイ自身が、苦痛にもがき苦しみながら今際の際を彷徨ったことが、おそらくあったと思われる。そうでないと、ああもリアルに病人目線の記述はできなかっただろう。もちろん、私もそういった経験があったからこそ、『イワン・イリッチの死』を読んで、「あ、そうそう!」などと、タメ口に近い親近感でもって共感できたのであるが。

先ごろ、生命倫理と欲望に纏わる話を聞きに行って()、「いのち」が、「生きる」とは何かわからない人々が、寄ってたかって新たな生命のルールを作ろうとしている、そのムードをそこはかとなく味わってきたのだが、そのムードとは、『イワン・イリッチの死』の中にあった、以下のような感じだった。

自分は山へ登っているのだと思い込みながら、規則正しく坂を下っていたようなものだ。まったくそのとおり。世間の目から見ると、自分は山を登っていた。ところが、ちょうどそれと同じ程度に、生命が自分の足もとからのがれていたのだ……

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