2013/07/29

死から逆算して計画を立てる

言葉を失うほどに、疲れ果てた。

あまりに疲れたので、慰めてもらおうと、ダンナの寝床に潜り込んでいると、それを見たダンナが、「このところ賢者モードが長いからそんな気がしない」と言う。
44歳アルバイト男性も、ケモノモードを維持するのはキツかろう。四十路にもなればそんなものだが、それと愛がないこととは、違う話なのである。

生死を分ける戦いのムードが、本格的に迫りくるのを感じる。
人生を、死から逆算して計画を立てた方が賢いと思う、そんな年頃である。

頑張り尽くしたあとの残滓として、いのちが尽きるまでの日々に、いかにして挑んでいくか、これが私たち夫婦の今後の命題。

我々が所属すべきセクトは、どこらへんにあるのか。
所詮また、根づくあてもなく、彷徨う日々になるのか。

死がそこまで来ている。
ならば何をしよう。まず片付けよう。

こぎれいに暮らすこと、ノートをきれいにまとめること。
これからは、ここに集約していきたいと思っている。

どうも、死にたいと言っているうちよりも、「生きたい」と思った時の方が、お迎えが来やすいような、そう思うのは私だけだろうか。
思うままにはならない、いのちの掟はひねくれ者だと。

ノートに向かい、考えを深めていくとき、私は暗い淵を覗き込んで、そこに映るものを見ている。
脈絡の無さそうな、バラバラのものが見える意図が何かと、たゆといながら、時間を失っていく。
何もかも失ってすら残る私とは、そういうものだろうと思う。

そして今、私はトルネードの中にいるのだろうか、外にいるのだろうか。

回転しながら何もかも巻き込んで吸い取っているように見せて、実は吐き出して空回りしているだけの、役に立たない掃除機のような、権力。
この、空回りする1%の人々は、超高速回転しながら、遠心力で念願の宇宙へぶっ飛んで行ってしまうのだろう。彼らの宇宙への旅立ちの日まで、もう数年ほどは、耐え難きを耐える決意が要る。
耐えている間にお迎えが来ても、それはそれで、そういうものではないか。

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