2013/05/19

「他人の人生を生きる」なんてことができるのは妖怪だと思う

何度か繰り返しているが、やはり、今の仕事は、私には向いていない。
こういった不向きなことにも、あえてチャレンジしている、私はエラいな、と思う。

いまいち、自分の性格に、グダグダした部分が足りないというか、割り切るのが早すぎて、やさしさが人に伝わらないことがよくある。
鍼灸士だった祖父と叔父の血なんだろうか、私は荒療治型なのだな。
「いのちの大切さ」は分かるし、「思いやり」はある方なんだけれど、「やさしさ」「ふれあい」とかは、ケツが痒くなる。
「サバサバした」というと、人によっては羨ましいという向きもあるが、いずれにせよ、性格は一長一短ある。

なんというか、自分の人生、オトシマエつけるのは自分自身ですよ、ってことが胆に銘じきれていない他人を相手にする時に、我慢料を倍額は上乗せして欲しい。

他人に対して「お前の人生をこっちに投げてくるな!」と思う、私は「包容力」に欠ける、とは自覚している。
それゆえに、包容力を失いつつある社会の中で、包容されなかったあたりに着眼して、その近辺をウロウロすることで、自分に欠けた「包容力」を代替して昇華しているようなところが、私にはある。


ところで、生活保護法の改正案なんてものが出ていたけれど、改正なんだか、改悪とまでは私は感じなかったが、別に良くもなっていない。動き出すのは2年後らしいが、そのとき、実施する自治体と住民の姿が浮き彫りになるだけに、私たち夫婦が移住を考える際の、重要な材料にもなろう。

地域に金が無いなら、金をかけずに工夫する知恵を、地域ぐるみで、住民みなが知恵を出し合っていけばいい。国にすがる意味が、私にはわからない。自立の意志の無い住民が丸投げして、何の現状が良くなろうか。

例えば、「要支援」は介護保険の要件から外されることになるらしいが、年寄りの居場所も、入浴も、別にデイサービスに限る必要はないし、それこそ、自立支援専門のヘルパーなり、見守り隊、声掛け隊みたいなもんを、地域で組合でもNPOでも立ち上げればいい。地域の皆で問題意識を共有するところからしないと、何より、地域住民の無関心と乞食根性がタチが悪い。

しかし、私の性質上、外側に多くを期待したり要求したりということはできない。動くことが億劫な人を、無理矢理動かすほどのエネルギーは、私個人には無い。が、そこにある社会資源が何か、ということを見つめ直すと、生きるうえで、まったく希望が無いわけではないので、それを嗅ぎ回って探している、まさに今、その最中である。

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