2013/04/15

「自分が色んなことを我慢している状態で、人を支援することはできない」

「あなたたちは幸せよ。昔に比べると、今は本当にいい時代になったわよ」

高齢者と話をしていると、そういうことを聞くことがある。

確かに、むき出しになっていたエグさが、むき出しで無くなっていったことで、いい時代になったような気はする。
私の崩壊した生家でも、母親が認知症の祖母を看ていた時代に、もしも介護保険のような、介護者が孤立しないで済むような制度があれば、今ごろ生家は崩壊していなかったかもしれない。

本性のエグさを曝すことができない、隠しこまれた不自由さを置き去りにしたまま、何気に、昔より随分良くなったような気分が味わえる、そういう時代にはなっているだろう。

しかし、今なお、障碍があっても、それを人に知られないように、隠して暮らす人。
手帳を申請することができるにも関わらず、しない人。
同じように、申請すれば、生活保護を受けることができるにも関わらず、しない人。
というのがいる。そういった人々は、社会サービスや福祉サービスについての情報弱者かもしれず、社会的排除の厳しさを理解し、予測しているからこそ、あえてそれを利用しない側にまわった、いわばそれは、その人なりの最善の処世の術かもれず。

また、何らかの疾病を抱えていながら、医者にかかりたくない、薬で治療したくない、という人も大勢いる。
疾病の現実が受け入れられない人、というよりも、自己治癒、自然治癒、民間療法を望む人たち。
医療による死ではなく、自然死を望む人たち。

こういった人々の意思は、私が見渡す限り、医療・福祉の現場では、尊重されにくい。
これも、実は社会的問題のひとつで、同じ老病死苦にまつわる、現代社会において陥りやすい典型的なリスクの問題でありながらも、現状、昨今の社会サービスでも社会福祉でも包括できていない、あるいは包括する気のない問題かと思う。

私自身、どちらかといえば、前述したような群れの中の人なので、もしかすると、現在の生業は私には不向きかも、という違和感は、常々感じている。

※図は『NHK 社会福祉セミナー 2013年4~7月』より

「自分が色んなことを我慢している状態で、人を支援することはできない」

と、NHKラジオ第二のカルチャーラジオという番組で、ルワンダの支援をしている人の話の中に出てきた言葉に、生活保護にも満たないであろう、失業保険もかけてもらえない職場で、人の勝手に振り回され、不安定な収入に耐えながら、人を支援することを生業をしている私は、深く頷くのだった。

何より、社会の中で福祉とは何か、世の中はどっち向きに進んでいきたいんだ、という啓蒙が、まだなされていない。それはまだはじまったばかり、なのかもしれないが、関心を傾けることの無い、何が何だかわからん人を相手に、このしっちゃかめっちゃかな時代は、いつまで続くのか。

しかし、それで、私は探しているのである。
NPOでも、友の会でもいいから、先に挙げたような人が集い、情報交換するといった趣旨の団体が、ありはしないか、と。



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