2013/03/06

「配られたカードで勝負するしかないのさ」

よく「支配者」「支配者層」ということをTwitterなど、ネット上で見かけて、私も以前から「世界大統領がいる()」と思っていたが、近頃よくよく、その支配者たちが、実際は色々と支配しきれていないということが分かるようになってきて、恐るるに足りないのだなと思えば、私の立脚点はやはり、「彼もチンカス、我もチンカス()」というところに尽きると覚めてきた。

「配られたカードで勝負するしかないのさ」というのは、スヌーピーの名言だったか。

イカサマ師の親が、必死で大見得切っている。
クソをするチンカス同士、皆、配られたカードで勝負している。

最初に配られたカードがブタかインケツあたりで、起死回生できるか、「もういっちょ」を何度すればオイチョやカブになれるのか、という人の一方で、最初からオイチョかカブあたりで、「もういっちょ」しない人あたりが、既得権益層や勝ち組などと呼ばれる。
ハンパなあたりで、「もういっちょ」するかしないか、迷いつつ、そこで満足することにして、さもオイチョかカブであるような顔をする人々もいる。
そんな満足を欺瞞だと、煽る人々。イカサマ師の親にビビる人々。
いつの間にか、ルールが「もういっちょ」で勝負できるのは一回だけになったり、「もういっちょ禁止」のルールにすり替えられたりするのだが、そんな親のイカサマに気づかない人々もいる。

その一方で、最初に配られたカードがオイチョやカブであるにも関わらず、「もういっちょ」と勝負する猛者。放っておいても勝てるのに、猛者はなぜそういうことをするのか。ルールがわかっていないのか。「お前、狂っているのか?」
この猛者は、そもそもカブのルールが気に食わない、この勝ち札はすでに見た、手にした、だから、どのみちイカサマ勝負なのだから、自分はインケツを狙うのだ。


ところで、今、トルストイの『光あるうち光の中を歩め』を読みなおしている。
これは、私が中学生の時に、はじめて手にとって読んだ文庫本なので、あらすじは覚えていたし、「で、だから何なん?」ぐらいの感想しか、当時持たなかったのも覚えている。
あれから三十年近い月日が経った今、トルストイが既に世の中の仕組みを正確に把握していたことに、驚いている。
まさか正直、今さらこの作品に心を掴まれるとは思いもしなかった。



0 件のコメント:

コメントを投稿