2013/01/20

ミミズやオケラやアメンボにしてみれば

♪ミミズだってオケラだってアメンボだって みんなみんな生きているんだ ともだちなんだ~… 

土壌の本を何冊か読んで、この歌がムダの無い、忘れてはならない凄い歌だったことに、ようやくじわじわと気づきはじめた、今日この頃である。
友だちのいないこの私にも、ミミズやオケラやアメンボがいたのだと、するとダンナが、

「あっちはお前のことを友だちだなんて思っちゃいねぇよ!」

と、一瞬夢見心地になりかけた私は、思い切り現実に引き戻され、また孤独に立ち返るのだった。

考えてみれば、確かにそうだ。ミミズやオケラやアメンボにしてみれば、人間どもの身勝手な振る舞いで、殺されかかっているのである。
私も、やりたがる人のない、万年人手不足の仕事を、やりたいわけでもないのに、日銭のために仕方なくやっているが、この仕事が身勝手なブルジョアの「より良い暮らしのお手伝い」で、そのブルジョアの金というのは、子や孫の未来、魂を吸い取って成っている金なわけで、いわば私もそういった人々のために殺されかかっている、気持ちはミミズやオケラやアメンボである。

誰が「あれ」を、友だちと思おうか。冷静に考えればそうじゃないか。
だからミミズやオケラやアメンボも、人間のことを、友だちだなんて思っていやしないだろう。

しかし、やっていることが金にしかならない生き方を選択するのは、「いのちのムダづかい」と言うに等しく、どう考えてもアホらしい。しかし、形のくずれてしまった生に順応していると、「いのち」が何かわからなくなって、このアホらしい選択をしてしまうものである。社会の、世界の悪循環は、このようにして、アホらしい選択を連鎖させて成り立っている。
そういうことを実感しはじめると、アホらしい選択肢は避けよう、という気にもなる。

まずは、友だちだとは思ってくれてはいないであろう、ミミズやオケラやアメンボの微生物並びに細菌と、コミュニケーションをはかって、仲良くなろうとするところから、はじめたいものである。

そんなわけで、『農家が教える 光合成細菌 とことん活用読本』という本を、図書館で借りてきた。

微生物の世界は目には見えにくいだけに、とかく「神秘性」がつきまとう。本書のテーマである光合成細菌は、「光合成」という作物生産を語るときには必ず登場してくる用語を冠していながら、農業分野ではこれまであまり大きな関心を呼んでこなかった。言葉は悪いが、まさに神秘的な面と、ある種の胡散臭さが見え隠れする世界だったように思う。…

と、冒頭に書かれてあったが、確かに、そのとおり。

ところで、この本には「えひめAI」の作り方()については載っていなかったが、『現代農業 2013年1月号』に「えひめAI」の特集記事があった。…あゝ、そういう時代が地響きをたてて到来しようとしているんだ。

以前、「えひめAI」の作り方を丁寧に教わったにも関わらず、つながり伝える人も、それを撒く土地も持たない私は、便秘や体臭防止にと、飲み物ではないと言われているのに、作ってジャブジャブと飲んでいた。
度重なる転居で、「えひめAI」のことは忘れていたが、今になって、あれは貴重なことを教えていただいたと、ありがたく思い、暖かい季節がきたら、また「えひめAI」を作ろうと思っている。

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