2012/11/19

『山に生きる人びと』

私の出自は、4代前の曽祖父の代までしか遡れず、海の者だか山の者だか、実際、どこの馬の骨だか、定かでない。
しかし、民俗学者の宮本常一の『山に生きる人びと』を紐解いて、なんとなく直感するに、恐らく、私は山の者ではない。
源氏か平氏か、ということになると、私の場合は明らかに源氏側との縁が多いことと、旧姓が「海っぽい」苗字なのである。

ところが、最初にその「海っぽい」苗字を名乗った、曽祖父の素性がわからない。
播州の商家の末っ子の9男坊が、後妻で入った継母と折り合いが悪く、大八車を引いて、港町神戸に出奔してきた、ということは聞いている()が、曽祖父がその商家の実子だったのか、養子だったのか、それがまたナゾなのである。

だからやはり実際、私はどこの馬の骨だか、わからない。
どこの馬の骨だかわからない割りに、まさかその後子孫が5代も続くとは、曽祖父自身、思いもよらなかったろうと思う。

島育ちの私のダンナは、明らかに海の者であるが、それがこの先どこへ向かおうというのか、近年、里山保全の重要性を耳にするだけで、さあどうしたもんだか、と思っているだけだったが、ダンナは重機もフォークリフトも動かせるし、林業にその途がありはしまいかと、情報をちょっと漁ってみたところ、先の『山に生きる人びと』にぶつかったのである。
この本からは、マタギやサンカといった、山の民の息づかいが、世々を経て感じ取れるのである。

私はもう20年ほど前から、里山保全の重要さについて警鐘を鳴らす文章に、いくつもいくつも遭遇してきた。小惑星イトカワの糸川博士や、数学者の森毅の本を読むと、そういう話が出てきたのを覚えている。
それで、里山は保全されたのか、その話はその後、どういう方向に向かったのか、まだイマイチ私には掴みきれていない。

しかし、『山に生きる人びと』を読むと、なぜ人が山を捨てたのか、何となく雰囲気が掴めてくる。

もともと山中の生活は自給自足はのぞめなかった。自給するには生活必需品が不足しすぎており、そういうものを入手するために金になるものを生産しなければならず、山中の生活には交易は重要な役割をはたし、そのためにも荷持ち人夫のはたした役割は大きかったといわなければならない。…
山中へ運ぶものは塩と米が多かったというが、そのほかにも油・燈芯・布類・農具などがあった。そういうものが運搬に要する手間賃を含めることによって、里の三割増の価になった。同様に売るものは三割低かったので、交通の不便ということによって、平野の人たちに比して物価に六割の差を見なければならなかった。…
…峠の村、あるいは峠の上の村がさびれてしまった例は無数にある。そしてそこに住んでいたボッカや馬方たちはいずれもどこかへ四散していった。そうしたことがなくても山の民は徐々に野に下りて来はじめている。そこでの生活が不安定だからである。天災や地異の影響も大きくうける。それに生産力はきわめてとぼしい。そして山間の生活が山間の生活として独自なものでなく、野の生活の延長同様になってくると山間での生活は息苦しくなる。野では早くから電灯が皎々としてついているのに山間では…
ダムで沈む村の人たちが絶対反対して移住をこばんできたのが、新しい移住さきへおちついてみると、もうもとの山への愛着はほとんどなくなったという話はよく聞く。…山林労務にしたがっているよりも、土地を持たず、その日働きの生活に不安はあるとしても、ここにおれば子供を一人前に学校へ通わすことができるだけでもありがたいといっていた。…

切ない話だ。
いくら住み慣れたとはいえ、暮らしていくにはやりきれない土地を捨てて移住した例は、日本の歴史の中でも数多く見られるようである。
そしてこの先、日本の山はどうなっていくのだろうか。
それよりも、私たち夫婦こそ、この先どうなっていくのだろうか。



0 件のコメント:

コメントを投稿