2012/11/12

「卑しい鼻」につまづいて

「卑しい鼻」って、どんな鼻を指していっている言葉なのだろう…。

自分の蔵書整理をしていて、ふと、野上弥生子の『海神丸』が未読だったことに気づいて、読んだ。
何年前だったか、行きあたりばったり、古本屋に放り出されてあった、カバーが取れて赤茶けた岩波文庫。
大正時代、航海に出て海難事故に遭う船の上での話だが、登場人物の四人の船乗りたちは、みな若い、という設定。
この船の船長の風貌を描写した記述に 鼻も卑しくはなかった とあり、卑しい鼻って、どんな鼻なんだろうと、浮かんでこなかったので、考え込んで、そこから先を読み進むことなく、何年経ったことだろう。

船長がいて、船員がいて、ふつうなら厳しい上下関係だと思うところ、この物語では、労使の上下関係に敬語は無く、お互いに、言いたいことを言い合っている。
船長が声を掛けて、雇い入れた船員という、一応、労使の物語つながりで、私はサン=テグジュペリの『夜間飛行』の主人公リヴィエールの非情さと孤独と、何気に比較してしまうのだった。『海神丸』の船長は、孤独のような、それでいて情け深い、こういうのは洋の東西の違いなのか、わからないけれど、いかにも日本らしい。

さまよう船の上で、登場人物たちは、文字通りの飢餓道に悶え苦しむわけだが、その様相は最近いくつかみられる、「極限状態で人間はどのように振舞うか」のようなテーマで描かれる、サイコホラーもののようでもあるが、登場人物の昔訛りがヒドイので、何を言っているのかわからない。

何の気なしに、いつでもどこでも手に入れられるものに、ありがたみは無いが、こうして見ると、正月準備の品々をひととおり揃えて、正月を迎えるということのありがたみがわかる。あれらの品を揃えるのに、人々はこんなにも命懸けだった時代があった。ましてや、いのちがあることのありがたみは、いかばかりか、である。

他の乗組員を殺して食うという食人妄想は、有島武郎の『カインの末裔』を思い出させるが、『海神丸』ではあれほどのプロレタリア臭はない。多分、「人間って、食ったら美味いかな…」という閃きは、食糧事情の危うい昔などは、ダメだダメだと思いつつ、割と頻繁に皆が思いめぐらしたのだろう。

しかし、遭難して食糧が尽きた船の上で、釣りをして魚を獲って食べる、ということをしないのは、何故だったのか。


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