2012/10/07

横井庄一さんのように服をつくりたい

青梅で糸くりをしてきた→(


機織の技術は、4世紀の終わり頃に、帰化人が渡来して伝えたものが、日本でのはじまりらしい。

話は変わるが、最近、真剣にサバイバルの技法について考えることがある。
うちのダンナも、空き缶を使って家を建てる方法や、林やヤブの中に住まう方法などを、ネットを使ってあれこれ調べたり、考えたりしている。

空き缶を使って家を建てる場合、空き缶の中に土かセメントなどを入れておかないと、空のままでは台風であっという間に飛んでいってしまう…。
最悪、ホームレスになって、個人の所有するものでない林やヤブの中に、勝手に家をこしらえて住んでいたとして、誰にも通報されなければそのまま住み続けることができるのではないか。また、通報されたとしても、叱られて、納税せよというお達しが来たとしても、収入が無ければ確定申告でも非課税じゃないか、…などと。

そんなに簡単なことなら、今頃あちこちにそういった、ファッションノマドではない、真正ノマドが国中に溢れているかもしれない。
わからないけれど、こんな時代だから、一か八か、いよいよの時には、そういった野性味溢れるサバイバルの暮らしへ、身を投じることになるのかもしれない。

そうなることも想定して、その暮らしに必要な知恵を、今のうちに掴んでおく必要がある、などと相談していて、話が転がって、横井庄一さんの話になった。

横井庄一
横井はジャングルや竹藪に自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年(昭和47年)1月24日にエビやウナギをとるためにウケをしかけに行ったところ、現地の行方不明者を捜す村人たちに遭遇し、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した。

軍事教育を受け育った横井は「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため、帰国の際、羽田空港で発した第一声は「恥ずかしいけれど、帰って参りました」であった。(Wikipedia
小野田寛郎
2年前に帰国し、驚くほど早く戦後の日本に適応した横井庄一と異なり、小野田の場合は父親との不仲や一部マスコミの虚偽報道もあり、大きく変貌した日本社会に馴染めなかった(マスコミのヘリがゲリラ戦時の敵軍ヘリと重なって悩まされた時期もあった)。帰国の半年後に次兄のいるブラジルに移住して小野田牧場を経営する事を決意。帰国後結婚した妻の町枝と共に移住し、10年を経て牧場経営を成功させた。

その後、「凶悪な少年犯罪が多発する現代日本社会に心を痛めた」として『祖国のため健全な日本人を育成したい』と、サバイバル塾『小野田自然塾』を主宰(Wikipedia

戦争から遅れて帰ってきた小野田さんと横井さんは、同じように語られることがあるけれど、あの二人はまったく別物として、その生き様から学ぶべきものがある。
小野田さんの場合は、ずっと国のために闘い続けていたけれど、横井さんの場合は見つかったら殺されるから、隠れていた。

そして最近は、横井さんのような生き様、暮らしぶりの方に、ひじょうに学ぶべきものが多いと感じるようになった。
小野田さんも密林の中で、相当高度に文化的な暮らしを創造しておられたが、その点では横井さんの方も決して負けてはいなかった。というのも、横井さんがグァムで見つかって報道された写真で、着ておられたあの服は、ご自分で織って縫ってものだったそうな。ボタンも自分の手づくりだというから、「一人でそこまでできるのか!」と、本当に恐れ入ってしまった。
どうしてそんなことまでできるのか、と思って調べていると、横井さんは元々テーラーだったそうな。

それで、偶々今日は、綿花から糸くりをして、その糸で簡単に織るという体験をしてきたものだから、横井さんのサバイバル術を、ぜひとも手習いしたいと、強く思うようになった。

それで、横井さんの著作『横井庄一のサバイバル極意書 もっと困れ!』を読もうと、Amazonで見てみると、とんでもないプレミアム価格で出品されていて、手が出なかった。


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