2012/09/21

今後、切り捨てられていく低所得者はどうすべきか



この、ドストエフスキーが言っているような人は、生きていくに困ることは無い。
財産も家柄も無い私のような者は、今後どうするのかを思案しなければならない。

病気や怪我の時は、医療ではなく、自己治癒力と民間療法に依るより仕方がない。
元々私は、祖父が鍼灸師だったせいか、民間療法や毒にも薬にもならないホメオパシーや、手かざしみたいなものの方が好きな性分であったし、金が無いのだから、医療のお世話にはなれないし、医師不足の昨今、私のような者に医師の手を煩わすのも、世の中に迷惑を掛けるだけだろう。
というか、それ以上に、医療ほど信用できず不安になるものはないので、たとえ金があっても、医療に頼るのは最小限でありたい。

今日も、職場でインフルエンザワクチンを打つかどうかと打診され、インフルエンザで死ぬなら死ね、バッチコイ、ということで、お断りしたところである。
ワクチンを打ったところで、「重篤化しない」だけで、罹る時は罹るのだから、あんなものはアホらしい。

この頃、うちのダンナも断食をして血圧を下げたところ。歳のせいか、割に無頓着だった彼も、健康を意識する気持ちが高まってきた。
自分の健康も、過信し過ぎないのが丁度いいようで、無事に過ごせた一日を振り返って、ありがたいと自然に気持ちが湧くような状態でありたい。

望む望まないに関わらず、生きるとは、何か素晴らしいことのように勘違いしてしまいがちだが、重力と抑圧に挟みうちにされて、そのいのちの強さを試されるものでしかないと、今私は確信している。

もしも生きること、いのちが素晴らしいと感じるのだとすれば、その人自身に「素晴らしい」ものを引き出す素養があるだけで、その「素晴らしさ」を全ての人に適用することを "諦めた" 時代と、今、私は顔をつき合わせていると、切に身に沁みている。

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